「国家の品格」その2
2006/04/30の紙面より
-「学ぶところある」 -
前回の拙稿の読者から、「小泉改革を真っ向から否定する『国家の品格』(藤原正彦著)を赤沢は支持するのか」というご質問を頂きました。『国家の品格』は、「(小泉改革に限らず)これまでの日本の経済改革の理論的支柱である市場主義をはじめ、欧米から際限なく流れ込む論理や経済合理主義によって損なわれた国家の品格を、武士道精神に回帰することで取り戻せ」と訴えていますので、ごもっともな質問ですが、これに対する赤沢の回答は、「(赤沢は)小泉改革を支持しているが、なお『国家の品格』から学ぶところは大いにある」です。
二十一世紀の少子高齢化時代にあっても百年豊かな日本を実現するためには、今後とも不断の経済財政改革が避けられないと考えます。その一方で、改革を推進する政治家や官僚は、武士道精神を体現する精神の形、例えば「惻隠(そくいん)の情」、「卑怯を憎む心」、「名誉や誠実や正義を重んじる心」を強く求められると考えます。
-惻隠の情ポイント -
「惻隠の情」は、新渡戸稲造がその著書「武士道」の中で最高の美徳としている敗者への共感、劣者への同情、弱者への愛情であるとされますが、赤沢にとって重要なポイントは、「惻隠の情」が対等な者同士の感情であり、だからこそ相手に対する深い敬意に裏打ちされた強固な義務感を伴うものである点です。似て非なる感情として、強者が弱者にかける「憐憫(れんびん)の情」があります。この感情の場合、強者の側に優越感を伴いやすく、この感情に基づく行為は強者の恩情であって義務ではないという感じが伴いやすい点が「惻隠の情」と大きく異なります。総じて心身ともに強固な政治家や官僚にとっては、「憐憫の情」を持つことは比較的容易でも、強固な義務感を伴う「惻隠の情」を持つことは容易ではないと思われます。
大きな改革であればあるほど、自らの生活がかかった関係者の不安は極めて大きなものになるのが当然です。改革を進める政治家や官僚には、このような関係者の不安を解消し、または和らげることを義務とし真摯(しんし)に努めることが求められます。換言すれば、どれだけ本気で政治家や官僚が「身につまされる」「人ごととも思えん」という気持ち(=惻隠の情)を持ちながら改革を進められるかが改革の質を決めると考えます。
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赤沢は過去一貫して「公私ともに気持ちの良い人間でありたい」という美意識を有しており、その最大の条件が「惻隠の情」を持つことです。『国家の品格』については次回以降のリレーコラムに加えて、五月中に開始予定の赤沢のメールマガジン「涼晴記」でも触れますので、ご関心のある向きは「涼晴記」のご購読(無料)も是非検討してみて下さい。何とぞよろしくお願いします。