「国家の品格」その1
2006/04/02の日本海新聞紙面より
今話題の本、『国家の品格』(藤原正彦著)を読みました。書かれている内容は斬新であり、だからこそベストセラーとなっているわけですが、赤沢の読後感を一言で言えば懐かしさでした。その理由は、同書がこれまで赤沢が何となく、かつ何度となく感じていたけれども口ではうまく言えないいくつかの事柄について巧みに書き切っているからだと思います。以下その例を挙げます。
-「論理の限界」 -
第一は、「論理の限界」ということです。国土交通官僚(旧運輸官僚)時代に、論理に強いとされる先輩、議論に強く優秀とされている先輩のうち特定の何人かは、決まって、いわば小手先の誤った結論を導き出すように赤沢には感じられました。結論は誤っているにもかかわらず、その先輩たちは議論が強いため、毎回とは言わないまでも、重要な国政上の課題について、赤沢から見ると正論を吐いているグループをしばしば論破してしまいました。
その誤った政策決定の結果として、中長期的に国民の利益が大なり小なり害されかねないわけですから、日本国にとっても、日本国民にとっても大変不幸なことに感じられました。
この決まって誤った結論を導き出すタイプの先輩については、『国家の品格』の第二章で「最悪は『情緒力がなくて論理的な人』」という見出しのもとで見事に書き切られております。「論理には出発点が必要」であるが、出発点を誤る人(=情緒力がない人)は、論理が完璧であればあるほど必ず誤った結論を導き出すということです。
-「何かに跪く心」 -
第二は、「何かに跪(ひざまず)く心」ということです。赤沢は、随分と昔から、人間を大きく二つに分かつ重要な基準の一つは「理屈抜きで自分の上に自分以上の何かしら大きな存在を認めているか否か」であると感じています。赤沢は、自分のことを特別に信心深い人間だとは思いませんし、特定の宗教に深く帰依しているわけでもありませんが、例えば、家族のために、地域のために、国のために、そして人類のためにしばしば「お守り下さい」と祈ります。
理屈抜きで自分以上の何かしら大きな存在を心の中で感じているからこそ、その大きな存在の前で謙虚に、図に乗らない人生を歩めると信じています。
-「美意識」の有無 -
第三は、「美意識」です。赤沢が随分と昔から人間を大きく二つに分かつ重要な基準と感じてきたもう一つは美意識の有無です。赤沢の言葉で言う「気持ちの良い人間か否か」ということです。これは、『国家の品格』が最重要テーマとして取り上げている武士道精神にも直結するように思います。まだまだ「懐かしさ」は尽きませんので次回もこの続きを書くことをお許し願いたいと思います。
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